タブレットの時代が来るのか? Google Chrome OS と Apple のタブレットの話

Chromeの「これからは携帯とノートPCの中間ですよ、中間」の図
アップル製タブレットは2010年後半

NTTのAndroid端末ネタの次は、本家GoogleChrome OSです。この辺の話題は大変面白くて、私の大好物なのだ。
特に上のChromeのプレゼン画像には、Googleがノートと携帯の中間デバイスにフォーカスしていることが示されている。ノートPCからみれば「よりネットブック方面へ」、携帯からみれば「よりタブレット方面へ」。そんなデバイスGoogleは注目しているということだ。

実際のところ、ノートPCも携帯も進化したとはいえまだまだ不満はいっぱいあるのだ。

ノートPCに対する不満

ノートPC(ネットブック含む)では片手で操作できないしねっころがって操作できないし、テーブルでみんなで覗き込むのも今イチだし、トイレにもっていってネットできないし(いや、やろうと思えば出来るけど)、バッテリーの持ちも悪い。結局使うときはある程度きちんとした体勢をとる必要があり、きちんとした体勢をとるということは気持ちもきちんとしてしまい、なんかこう、眠くなるまでダラダラとネットして眠りにつきたいのにちょっとなぁ・・・と思ったりする。

外出先でも同様だ。

歩きながらネットできない。やってもいいが両手が塞がる。周りに迷惑。ちょっとアブナい人だと思われる。信号待ちや電車の中でさっととりだしてさっとしまう、それができない。20年前の「パソコンを持ち運べるようにしてみました」レベルのコンセプトは変わってないから、「より軽くより薄く」を追求していってもあんまり生活は変わらない。やはり基本は「外出先に持って行って目的地に到着しておもむろに開く」ものであって、もし目的地にすでにPCがあるなら基本的には持ち歩く必要すらないものだ。「カフェでお仕事♪」とかフツーやらんだろと。いや私も外出がちなとき、気分を変えたいとき、せっぱつまっているとき、やらないこともない。ただ割合として圧倒的に少ないという話。

ケータイに対する不満

iPhoneを使っているが、こちらも不満がたくさんある。他のケータイ(スマートフォン)でも同じだと思うが、画面が狭くて処理が遅くて重いページを表示しづらい、重い処理ができない、大きなページやドキュメントが見られない。なんだかんだでPCと比べてしまうとチマチマと操作感が悪いしでストレスがたまることがしばしばある。

とまあ、好き勝手に悪態をついてみたが、実際のところ日々こんな不満を抱えて我慢と妥協の日々を送っている訳ではない。ノートPCもiPhoneもそれぞれの得意分野で快適に使用している。しかしもし、今後続々と登場するであろうタブレット(「タブレット」と便宜上ここでは呼ぶ)デバイスが、「軽くて」「どんな格好でも持ちやすくて」「操作がサクサク軽快」であれば、上に書いた問題点を根こそぎ解決してくれることになる。すると、PCは仕事だけ、ケータイは電話だけ、それ以外は全部タブレット・・・今はまだ信じられない光景だが、来年再来年でそういう流れが生まれるんじゃないか。

ノートメイン、携帯メインで考えると「いつ使うの?」「どこで使うの?」「いらねんじゃね?」となりがちなタブレットだが、「いつでも使える」「どこでも使える」というのがタブレットに求められる要件だと思っている。そうでなければ登場する意義がないだろうとも思う。

なくなるもの

タブレットに限らず新しいものが普及するときには、既存のモノが果たしていた役割を奪いとるような力学がはたらくわけで、今まさに4大メディアが「ネットに色々なモノを絶賛奪い取られ中」なわけだ。人間の時間が1日24時間と決まっている以上これは仕方のないこと。落日のメディアにワビサビを感じたり懐古趣味に走ったり揺り戻し現象が発生したりもあろうが、それらはスパイスにはなれどそれで逆戻りするようなことはない。インクの匂いや紙の質感が大好きな私としても紙メディアの衰退は寂しい。しかし繰り返すがこれは仕方がないことなのだ。

タブレットの登場でその流れがいっそう加速する。どの程度まで無くなるかは定かではないが、無くなるというよりもその中の良質な部分がネットに取り込まれていくカタチになるんじゃないかと思う。雑誌、テレビ、新聞、ラジオが提供してきたコンテンツが、思いっきり淘汰されまくってうまい具合に残って欲しいと思う。余談だが新聞社のサイトは今からでも遅くないから即刻有料化すべきだと思う。猛反発を受けるだろうが広告モデルだけでは厳しいでしょう。海外の新聞ではそういう試みも出てきているし、ネットの世界ではとかく過剰なほど「無料が当たり前」になっていて、これはあまり健全とはいえない状況だと思う。この話もいつか書きたい。

スクリーンサイズが広がってうれしいこと

一時期、なんでもかんでもケータイの狭い画面に集約されてしまうのかと思い、デザイナーとしては暗澹たる気持ちになったこともあるが、タブレット端末の時代になってくれるのであれば話は別だ。PCにおけるWebやソフトウェアのUIデザインとはまた違った作法が必要となる可能性が高いが、それらをきっちりキャッチアップしていけば活動の幅は広がるし、その一端はiPhoneアプリiPhoneに最適化されたサイトデザインで見ることができる。

ただしタブレットの場合スクリーンサイズが広がることでiPhoneともまた違ったデザインが求められるだろう。そもそも、ある程度広いスクリーンとなればタッチ操作が最適か?ということも検討の余地がある。なにしろマウスやトラックパッドなら手首や指先を数センチ動かすだけで画面の端から端までポインタを動かせるのだ。タッチ操作だと画面の物理的な長さと同じだけ指先を移動する必要ある。

ケータイサイズならばタッチ操作がマッチすることはiPhoneが証明したが、A4サイズのタブレットから文庫サイズのタブレットまで、すべてを同じUIでカバーできるか疑わしい。このあたりはOSのUIデザインとも密接に関わるため、GoogleAppleが想定スクリーンサイズを含めどういうコンセプトを提案してくるか楽しみだ。特にAppleはこういうとき「既存アイデアApple流再構築」とも言うべき提案で一気に市場の支持を獲得することがある。初代MacにおけるマウスとGUIの採用しかり、iPodのクリックホイールしかり、iPhoneのタッチUIしかり。なので非常に楽しみ。Googleはどうだろう?Android端末のように基本的にはメーカーに任せつつ、よいアイデアデファクトを獲得するのを見守るのだろうか?

タブレットをペラペラヒラヒラしたい。さっと手に取ってぱぱっとメモしたい。

実はペラペラ、ヒラヒラできることは本や雑誌の最大の美点だと思っている。この機能(?)のおかげで、あらゆる閲覧姿勢に対応でき、人々の可処分時間を思うがままに独占してきたのが印刷メディアだ。また印刷メディアとはちょっと違うが、紙のメモ帳や手帳は、さっと手に取ってぱぱっとメモできるという美点を持つ。起動時間(?)はデジタル機器の比ではないし、図形もイラストも文字も思うがままに殴り書きできる。複数人で額をつき合わせて議論するのにも向いている。iPhoneでもこの手のアプリは数多いが、とてもじゃないがスピード感と機動力では勝負にならない(ただしメモした後のデータの同期、共有、検索性まで考えると、双方甲乙つけがたい勝負となる。私は紙のメモ、iPhoneのメモどちらもよく使う)。

来るタブレットバイスにはこの「ペラペラヒラヒラ」と「メモ帳としてのスピード感/機動力」を早期に実現して欲しい。ペラペラヒラヒラは相当時間がかかりそうだが、メモ機能はすぐにでもなんとかなりそうな気もするがどうだろうか?打ち合わせテーブルの真ん中にタブレットをおき、メモ帳兼ICレコーダー兼ホワイトボード兼議事録としてタブレットを使えたら最高だ。遠隔地同士でも当然使えるだろう。

いろいろ夢は広がるが、来年にもその答えを何種類か目にすることができそうなので楽しみに待ちたい。