世界はだんだんよくなっている。

●知識経済に乗れない人たち
http://d.hatena.ne.jp/elm200/20100202/1265124889

まったくそのとおりだと思う。反感を買いかねないエントリーだけど、低付加価値労働が新興国に流れ、先進国では高付加価値労働をしない限り生きていけないという流れはおそらく止めようがない。

だからこそベーシックインカムなどという話も出てくるのだろうし、その是非はともかく、真剣に検討すべき時期にきていると思う。

産業革命以降、ヨーロッパ→アメリカ→日本→の順番で世界の工場が移動してきて、今は韓国・台湾、BRICsだ。さらにこのあとVISTAやらアフリカ諸国やらと来て、最終的に世界中の労働単価が一定のしかるべきところに収斂するまでこの流れは続くのだろう。

世界全体で見ればこの流れは貧困層が減り中産階級が増えるということだから、望ましい変化に違いない。日米欧は一足先に「総中流社会」を迎えたのだから、現在新興国にその中流の人たちの仕事が一部とられてしまうのは仕方がない。失業率が5%、10%というのも、基本的には政府が悪いとか中国が悪いとかいうレベルの話ではなく、社会力学(っていうのか?)的に、仕方がないことだ(とはいっても個々の暮らしをミクロで見るとそう悠長なこともいっておられず、その鬱積した気分がアメリカではジャパンバッシングという形で噴出したし、日本ではネトウヨなどという形で出てくるわけだが、これもまた仕方がないことなのだけど)。

仕方がない仕方がないばかりでなんとなくノラリクラリと過ごしてしまうのが私の悪い癖だが、現実問題として、この日本でどうやって食べていくのかということはさすがの私も考えざるをえない。とくに子を持つ親としては、子供にどういう情報や価値観を与えるのかにもつながる。少なくとも「自分がやってきてうまくいったこと」「そうだと(なんとなく)信じてきたこと」を、疑いもせずにそのまま伝えるのは危険といえそうだ。

人間は自分の経験からモノを語る生き物だし、それは悪いこととは思わないが、ひとつの価値観(あるいはかつて通用した価値観)として語るにとどめ、これからの生き方については子育てをしながら、子供とともに考える、くらいが調度良いのではないかと思う。もうひとつは、先に「この日本でどう食べていくか」みたいに書いたが、日本という枠組みに思考を縛られないように育てたいということ(そういう意味では今何かと話題の「坂の上の雲」や「龍馬伝」なんかは子供に何かを伝えるには格好の教材だ)。これはむしろ子供より私自身が強く意識すべきことかもしれない。

冒頭にあげたエントリーに書かれていた「知識経済の乗れない人たち」に、自分や子どもたちが含まれる可能性も十分にある。が、上に書いたように世界全体としてみれば良い方向へ進んでいるということも、頭の片隅に置いておいて損はないと思う。日本にいると意識しづらいが、多くの人がそうありたいと願っていたはずの世の中に着実に近づいている。それを思えば今の状況や、これから自分や子供が経験するはずの世の中というのも、なかなか捨てたものじゃないと思うのだ。