国境なき医師団に毎月1500円の寄付の手続きをしました。

タイトルのとおりなのだが、国境なき医師団に寄付した。「伊達直人」氏を発信源として、寄付に関する議論が巷で沸騰した、その流れに乗ろうという魂胆である。しかしそれで今1回寄付して終わりというのもなんなので、毎月自動で寄付できるところを探した結果、国境なき医師団ということになった。

寄付に関してはいろいろな論点があるようで、せっかくなので私なりに考えてみた。

自己満足か?

自己満足だと思うが、他者も満足(というとおこがましいが)するのだから、自己満足であるということに卑屈になることはないと思う。

何を寄付するか

迷うならお金がいいんじゃないかと思う。相手が必要としているのが分かっていて、自分に思い入れ又は安く調達できる手段があるならば物品でもよさそう。

どこに寄付するか

お金にしても物品にしても、それを正しく運用してくれそうかどうかというのは、出来る範囲でチェックはしたい。あとはやはり子供の健康、教育に寄与できるところ。

寄付相手に身元を明かさないことについて

明かしたほうがベターかと思う。

寄附行為は周りに言うべきか

以前は敢えて言わなくても・・・程度に考えていたが、言ったほうがよいという考えに今は変わった。今回、一連の「伊達直人」報道により寄付に関心をもった人は私以外にもいるだろうし、そのようなきっかけは多ければ多いほどよい。売名行為だという批判もあるが、みんなが言うようになれば売名行為は成り立たない。あとはやはり子供に伝えていきたい。

まず隗より始めよ

なんか今年は格言づいていてオヤジクセーのだが、この言葉が思い浮かんだ。「身近なところから始めよ」という意味と「言いだしっぺから始めよ」の二通りの意味があるのだが、どちらも寄付をする際にハマりそうだ。

「言いだしっぺから始めよ」について。曲解だが「まず行動すべし」と受けとれば寄付にも弾みがつく。寄付についてあれこれ難癖つけたり、しない理由を見つけるのも結構だが、そういう小難しい思考を抑制する効果がある。

「身近なことから始めよ」について。寄付の相手は普通は遠い相手である。遠い相手に寄付して崇高な何かに想いを馳せるのもいいが、自分の身の周りの人や物事に大して誠実であることも大切だよと、そんなふうに受け取ってみると、じつに頭痛が痛い。